またフロントマスクを完全に作り替えて、印象を変えようという意見もあり、新たにクラブマン、と呼ばれるシリーズが生み出された。ミニに現代的な雰囲気を与えようというプロジェクトは2つの方法で行なわれた。一つがミニの雰囲気そのままで再構築するMkIII。そしてもう一つがMkIIIの新構造を利用して、さらにフェイスリフトも行なうクラブマンへの変更だった。
これはミニの丸みのあるスタイリングに対し、平らなボンネットと全面グリルのマスクでスクエアな印象のフロントエンドを作り上げたもの。当時のスタイリングの流行を取り入れたものだが、Bピラー以降はミニのままであったから、評判は今ひとつであった。

ただしエンジンルームは広くなったのでチューニングのためのベース車両としてはメリットもあった。ラジエターを前方に移すスペースが生まれ、クーリング性能を確保しやすくなったのだ。その反面、ボディの空気抵抗という面では低下する部分もあったので、チューナーによって評価は分かれた。
当初BLMCはクラブマンへとモデルチェンジを予定していたのだが、急遽ミニの顔も残すことにしたのだ。
その結果、クラブマンは主張した陣営の予想に反して人気はそれほど伸びず、やはりミニのフロントマスクが根強く支持されたのであった。リアスタイルが丸いまま、フロントマスクだけスクエアにしたクラブマンのルックスはややアンバランスだったことから、当時は受け入れられなかったのだ。
69年から80年までの間にミニは280万台以上が生産されたが、そのうちクラブマンシリーズは60万台弱に留まった。それでも高性能な1275GTは11万台以上、エステートは20万台近くが生産されたから、一定の人気は獲得していた。今では、その個性的なスタイルからマニアに人気となっているのも頷けるミニである。



企業面に目を移すと1968年、BMCは欧州の他国メーカーに対抗すべくジャガーやデイムラーといった高級車メーカーを合併し、レイランドグループとなった。それによりモーリスとオースチンのブランドは消滅し、BMCはレイランドを吸収してBLMCとなったことから、ミニはBLMCブランドで販売されたのだ。
1975年にはローバー、トライアンフ、ランドローバーも吸収し、国有化されてBL(ブリティッシュレイランド)となる。しかし現在のような合理化やシナジー効果といった合併によるメリットはあまりなく、しかも排ガス規制によってエンジン性能も低下し、BLMCの各車種の商品力は低迷していった。
経営体質が弱体化してくると、自ずと製品の品質にも影響が出る。特に構造が複雑な高級車たちへの影響は大きく、凝ったメカニズムが信頼性を低下させてしまうと、たちまち評価も下がっていくのだった。そうなってくると経営陣は、ますますミニの人気を頼りにするようになるのだ。