小さな巨人は、いかにして雪山のラリーを制したのか
1960年代のモンテカルロ・ラリーにおいて、クラシックミニ(BMCミニ)は単なる成功例ではなく、「ラリーという競技の価値基準そのもの」を塗り替えた存在だった。排気量も最高速も劣る小さなクルマが、なぜ世界最高峰のラリー競技で主役となり得たのか。その答えは、各年の戦いぶりを丹念に追うことで見えてきた。
モンテカルロ・ラリーにおけるクラシックミニの活躍は、単なる「番狂わせ」ではない。それは、ラリーという競技の本質を突き詰めた結果として生まれた、必然の勝利だった。ミニが世界最高峰の耐久ラリーでいかに評価を覆し、いかにして伝説となったのかを、各年の戦いぶりを軸にここで検証していく。
モンテカルロ・ラリーという試練の舞台
当時のモンテカルロ・ラリーは、今日のWRCとはかなりスタイルの異なる競技だった。現在のスペシャルステージ主体のWRCとは異なり、ヨーロッパ各地に設定された出発地から各チームは出発地点を選び、そこを起点に数千kmを走破するという「移動耐久戦」だったのだ。
当時のモンテカルロ・ラリーは、どこを出発地にするかというだけでなく夜間走行、凍結路、急峻な山岳路が連続し、クルマの性能だけでなく、信頼性とドライバーの判断力が試された。耐久性、夜間走行での集中力、そしてアルプス山岳部で待ち受ける氷雪路面。速さだけでなく、「壊れないこと」「道を読むこと」「無理をしないこと」が勝利条件だった。
この過酷な舞台において、当初ミニは勝者の候補ですらなかった。排気量、最高速、車格…どれを取っても、フォード・ファルコンやメルセデス・ベンツ220SEといった大排気量FR車に及ぶはずもないと思われていたからだ。だが、ミニには別の武器があった。
この舞台は、結果としてミニの特性である前輪駆動による安定したトラクション、軽量ボディ、コンパクトなサイズという3要素を最大限に引き出すことになるのだ。
1962年まで、見過ごされていたミニの才能
1959年に誕生したミニは、本来は都市型の大衆車である。しかし、横置きエンジン+前輪駆動という革新的レイアウトは、図らずも結果として雪道などの低ミュー路でも圧倒的なトラクションを生み出していた。
ただし初期のスタンダードなミニにおいては、そもそものパフォーマンスが不足していた。なぜなら設計者のサー・アレック・イシゴニスはミニをホットハッチ(正確にはミニはハッチバックではないが)のような高性能モデルではなく、大衆車として誰もが扱いやすいクルマとして仕立てたからだ。
そのためA型エンジンはもともとの948ccからサイズダウン、850ccとされ乗りやすく燃費もいいクルマへと仕立てられていたのである。
それでもBMCはプロモーションも兼ねてミニをラリー競技へと参戦させる。1959年のRACラリーには、パット・ティッシュ・オザン、ケン・ジェームス、そしてアレック・ピッツが駆る3台のミニ850が標準ツーリングカーと改造グランドツーリングカーの2つのカテゴリーに出場した。

初期のワークスミニには、のちにクーパーで採用される試作パーツが組み込まれ、インテリアは後のミニクーパーほどではないものの、機能的にあつらえられていた。しかし、このデビュー戦はほろ苦い結果に終わった。
クランクシャフトのオイルシールが破れたことによるオイル漏れがクラッチの滑りを招き、エンジンのパワー不足のために、オーバーヒートを起こし、ブレーキもフェードして効かなくなってしまうというトラブルに見舞われたのだ。サイドラジエターのミニで全開時間が長すぎることにより冷却不足が起こったこともあるが、エンジンのパワー不足、四輪ドラムブレーキのブレーキ性能の低さが問題だったのである。
12月に開催されるポルトガル・ラリーでは、ナンシー・ミッチェルとピーター・ライリーが2台のワークスミニ850を駆った。これは、来たるモンテカルロに向けたテスト走行を兼ねていた。
ようやく存在感を発揮しつつあるも、速さ強さは不足
1960年のモンテカルロ・ラリーの会場においてもミニの存在感はまだ希薄だった。ミニは完走すれば上出来という扱いだった。しかし、これまでの参戦からミニでラリーに挑戦しようというプライベーターも増え、ワークスチームの6台に対し、プライベートチームも6台と12台ものミニが参戦した。
しかも、雪道区間でミニは意外な安定感を示した。重量級車がホイールスピンやスタックに苦しむ中、ミニは淡々と前に進んだのだ。この段階ではまだ結果に結びつかなかったが、「雪道で妙に速い小型車」という印象が関係者の記憶に残り始める。
そしてジュネーブラリーで、ミニは初めてクラス優勝をもぎ取る。同じFF車のサーブやDKWといったライバルを相手に限界ギリギリまで攻め込むことで、勝ち取った初めての優勝であった。
オランダからイギリスまでを走破するチューリップ・ラリーにも参戦し、ワークスミニは3台とも無事完走したが、クラス優勝さえ叶わなかった。アクロポリスラリーではミニの限界、構造的な弱点などが露呈し、残念な結果に終わった。

そのためミニがラリー競技で活躍するには、61年にジョン・クーパーが手がけた高性能モデル、ミニ・クーパーの登場を待たねばならなかった。ジョン・クーパーは英国ツーリングカー選手権で戦えるクルマとしてミニ・クーパーを開発したが、これはラリー競技にも有効なマシンだった。
というより、実はラリーに参戦中のマシンにもクーパーの装備が試されていたのだ。それはリモートシフトのトランスミッションや1000ccのSUツインキャブエンジン、そして前輪ディスクブレーキ…。それらは未完成であったが、ミニの速さと強さを築き上げるために必要な作業だったのだ。
こうしてミニ850はラリーで鍛え上げられ、クーパーへとノウハウが注ぎ込まれることになったのである。
(続く)








