1997年以降、次々に繰り出されるクラシックミニの限定車たちは、華やかな展開に満ちていた。ミニの人気が復活した理由の一つにはこれら限定車の存在があった。クーパー復活以前から様々な仕様の限定車がミニの人気を支えていたのである。
そしてクーパー復活で人気が再燃した後も、35周年記念や40周年記念などの限定車を発売し、高い人気を維持し続けた。
ミニの生産方式は、誕生当初は画期的なものであったが、40年近く過ぎた頃には、旧態依然と言われるものとなった。もちろんそれなりに進化は遂げていたものの、手作業で組み立てられる部分がまだかなり残っていたのだ。


だがこれはむしろ、限定車を作るには好環境となった。少量多品種を作り出すには、あまりに効率化された生産方式では仕様変更などの設定作業が、かえって煩雑になってしまうこともあるからである。
ミニはサブフレームによりパワーユニットやサスペンションをモジュール化していたものの、内外装部品の取り付けや塗装は人の手で行っていたので、細かな変更に対応しやすかったのだ。
97年にヘリテイジコレクションを登場させるきっかけとなったのは、96年に発売したミニ生誕35周年を記念した限定車、35thアニバーサリーだった。

アーモンドグリーンにホワイトのストライプが加えられたボディは、MkIIのクーパーSを彷彿とさせる仕立てで、インテリアも同じく淡いグリーンのレザーシートとステアリングリム、ウッドパネルが誂えられていた。フロントグリルにはフォグランプが4つ並ぶモンテカルロキットが与えられ、またもミニの人気を盛り上げたのだ。
これに気を良くしたローバーが、翌年にエンジンや内装をリファインして標準モデルと共に用意したのが、ヘリテイジカラー・コレクションであった。
これはクーパーとケンジントンに設定されたもので、ボディカラー4色とそれにレザーシートのカラーをコーディネイトされていた。これと標準モデルと合わせると7色のヘリテイジカラーが揃ったのだ。
もちろんこれにはアーモンドグリーンのボディカラーとポーシュレイングリーン(前述の淡いグリーン)のレザーが組み合わされたことは言うまでもない。
ちなみにケンジントンはメイフェアの上級モデルとして設定されたもので、クーパーと違いボディ同色ルーフでレザーシートという仕様であり、まさにメイフェアとクーパーの中間とも言うべきもの。
98年にはクーパー・スポーツパック・リミテッドが登場。600台限定で日本市場にのみ設定されたモデルで、13インチホイールと大ぶりなオーバーフェンダー、専用の鮮やかなボディカラーでたちまち人気となった。


そして限定車でもファッションデザイナーのポールスミスとコラボしたポールスミスモデルは、その独自の世界観すら感じさせるセンスぶりに、ミニ好き以外からも注目を集めた。
ファッションデザイナーのポールスミスとコラボしたモデルで、ボディカラーだけでなく、エンジンルームやトランク、グローブボックス内のカラーにもこだわった、ポールスミスの世界観が感じられるモデルだ。
さらに往年のBMCワークスカーをモチーフにしたクーパーBSCCリミテッド(本国名クーパースポーツ)は、販売されるや瞬く間に完売するほどの人気ぶりで、現在でも高い人気を維持している。
ミニ生誕40周年を記念する限定車は、このスポーツパックやクーパーをベースに用意されたが、どれも高い人気ぶりを誇った。
そして生産を終了することが決まった2000年にはラストミニとして4種類の限定車が販売(日本へは正規輸入されず)されたのだった。オリジナルのミニ(MkIV)を彷彿させるモデルや、スポーツパックの派生モデル「ナイトブリッジ」や初期モデルのオースチン・セブンの名を冠した「ミニ・セブン」などなかなか魅力的な限定車であった。


ちなみに他にも英国や欧州専用の限定車にも魅力的なモデルは多かった。そのうちの何台かは日本に並行輸入されているが、極めてレアなモデルとなっている。
そして2000年、クラシックミニはついに生産を終了し、長い歴史の幕を閉じたのである。だが通常なら、生産終了から10年もすればそのクルマのオーナーは減り、クルマも世代交代されてしまうものであるが、四半世紀を過ぎた今も、クラシックミニは唯一無二の存在として、たくさんのオーナーに愛され続けている。









