Home / ミニの歴史 / 1959~67 MkIの時代#2

1959~67 MkIの時代#2

 BMCから新型の小型車ミニがデビューすると、当然のことながらPR活動を行う。

 ところがそこに登場したのは、先代モデルに当たるモーリス・マイナーよりも格段に小さなクルマだったことから、ロンドン市民もさぞや驚いたことだろう。

 BMCはそんな市民の反応を想像していたかの如く、当時のTVCFでは、4人家族と驚くほどたくさんの荷物をミニから登場させて、そのパッケージング能力の高さをアピールしたのだった。

 しかしながら、前述の通り庶民には高嶺の花であった乗用車は、ミニの登場によってもまだまだ英国では、なかなか普及しなかった。結局、ミニはその可愛らしさとハンドリング(この場合、動力性能ではなく、置き場所の問題や取り回し性の高さ)においてメリットは感じられるものの、実際の需要においては、それほど重要視されていなかったのだ。

 そのため当初の需要は富裕層のセカンドカーとして使われ出し、そのうち軽量コンパクトで低重心なことから走りを楽しむ層に好まれ出す。クルマ好きの間ではミニは、小さいけれど走りのいいクルマとして評価を得るようになっていくのだ。

 巷にはミニの走りをさらに楽しくさせるチューニングキットが出回るようになり、チューナーたちやアクセサリーパーツのメーカーたちを活気づかせた。

そしてミニ・クーパー開発、レースやラリー参戦へ

 その頃、ミニで本格的なレース活動を画策した男がいた。その男の名はジョン・クーパー。かつてクーパーガレージを率いてF1でチャンピオンを獲得した彼は、サルーンカーレースで強力な武器になるクルマとしてミニに着目したのだ。

 彼はロード会長を口説き落とし、モータースポーツのベース車両としてミニ・クーパーを量産させるのである。

 こうした動きから、BMCはモータースポーツをミニの知名度アップに利用することを決める。そこでより強力なクーパーSを開発するのだ。これは排気量1071ccモデルのほか、1275ccと970cc仕様も用意して、各排気量クラスで制覇を狙えるようにした。クーパーとクーパーSについての詳しい話は、また別の記事で書き綴る。

 その頃、BMCコンペティション・デパートメント(専門部署の意)はMGやオースチン、モーリスなどのスポーツカーやセダンをベース車両にモータースポーツ活動を行うと同時にカスタマーのサポート(マシン製作やメンテナンスなど)を行なっていた。

 そこではミニを速く走らせるための競技専用パーツも数多く開発され、その開発にもレースは一役買ったのである。BMCはワークスカーを英国ツーリングカー選手権や欧州ラリー選手権(現在のWRC)に参戦させた。

モンテカルロラリーでの3度の優勝はあまりにも有名な出来事であるが、ツーリングカーレースでも大いに活躍した。サーキットによっては、大きなサルーンと互角以上の戦いを魅せるミニ・クーパーSに英国のモータースポーツファンは熱狂したのだ。

 その一方で、ミニをより広く国民に移動手段として利用してもらうために、AT仕様も開発された。これは当時の航空機産業企業であるAPロッキード社によって開発されたもので、当時としては画期的な4速ATを備えていた。インジェクションミニになってもその基本的な構造は変わらず、クラッチ板を増やして伝達力を強化した程度で使われ続けたのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です