ミニの人気が再燃するきっかけは、一人の男のビジネスプランであった。丸山和夫氏、1970年代からミニとそのパーツを作って販売することでミニ専門店ミニマルヤマを軌道に乗せた男は、1980年代に入るとさらにビジネスを拡大しようと、思いつくアイデアを実行に移していくのだ。
アルピナやアバルトに 提携を提案する手紙を書いても梨のつぶてではあったが、それでも諦めなかった丸山氏は、単身英国に渡り、ある男を捜索する。ジョン・クーパー、かつてミニクーパーを生み出した、英国モータースポーツ界の伝説の男だ。
英国内のレースイベントに行っても声すら掛けられなくなっていたクーパー氏を見つけ出すのは、容易いことではなかった。それでもそうしたイベントを何件か巡るうちに「クーパーさんなら何とかって街にいるらしいよ」という情報を得ることに成功するのだ。
そして英国の片田舎に辿り着いた丸山氏はついにクーパー氏を見つけ出し、口説き落として再びミニの世界へと返り咲きを果たさせるのである。丸山氏の提案に対し、クーパー氏が出した答えは、かつて英国で流行したチューニングキットをクーパーの名でリリースすることだった。
それに対し丸山氏はチューニングキットを木箱に入れてムードを高めることと、コンプリートカーも用意することを提案する。こうしてジョンクーパー・コンバージョンキットは誕生した。
これは欧州でもかなり話題になったが、やはり火が着いたのは日本であった。
ミニをかつてのミニクーパーへと変身させるジョンクーパー・コンバージョンキットは売れるに売れた。コンプリートカーの注文もこなしきれないほど入り、ミニの人気は急上昇していったのだ。



クーパー人気に便乗したローバー、1.3Lエンジンでクーパー復活へ
ミニの販売台数が伸びていった理由を探ったローバージャパンは、クーパーの人気にあやかることにした。そして英国にもクーパーモデルの復活を打診したのである。
ミニにクーパーモデルを設定する開発は、実はそれほど大変ではなかった。というのも、ミニの後継モデルとして開発されたMGメトロなどに1.3LのA型エンジンが搭載されていたからだ。
ローバーはミニに1.3Lエンジンを搭載し、クーパーを復活させた。それは1990年のことであった。
ボンネット両端を走る白いストライプとジョン・クーパー氏のサインは、かつてのBMCワークス黄金時代を彷彿とさせるには十分なディテールで、さらには白いルーフがクーパーであることを強調し、ミニ好きの心を鷲掴みしたのである。
最初に用意された日本向けの限定650台は、あっという間に完売した。このモデルにはサンルーフが標準装備されていた。それがその後にデリバリーされた通常モデルのクーパーとの違いであった。

そして翌年から通常モデルとしてクーパーの販売が始まった。それは往年のスタンダードクーパー(1000クーパー)やクーパーSほど特別なメカニズムを盛り込んだモデルではなかったが、従来のミニ1000と比べればよく走り、スポーティなムードとクーパーの名が、ファンを満足させたのだ。